バレーボール女子日本代表、歴代ユニフォームと戦績を振り返ろう
バレーボール女子日本代表は、「東洋の魔女」と呼ばれた1964年東京オリンピックでは、社会現象と言えるほどのブームを巻き起こしました。女子日本代表の華麗なプレーを引き立ててきた、歴代ユニフォームを戦績とともに振り返ってみましょう。
目次
バレーボール女子日本代表、オリンピックの軌跡
公益社団法人日本バレーボール協会(以下JVA)では、2018年度までバレーボール日本代表チームを「全日本女子バレーボールチーム」と呼んでいましたが、2019年度から「バレーボール女子日本代表」に変更しました。本稿では「バレーボール女子日本代表」で統一しています。
バレーボール女子日本代表のオリンピックでの戦績は輝かしいもので、これまでに金メダル、銀メダル、銅メダルを2つずつ獲得しています。
1964年東京大会
1964年東京オリンピック
バレーボール女子日本代表が世界大会に初めて出場したのは、1960年の世界選手権です。日本は予選を全勝で通過し、ソ連に次いで、初出場ながら準優勝となりました。
翌年の欧州遠征では24連勝し、この頃から海外メディアから「東洋の魔女」と呼ばれるようになったのです。
1964年に開催された東京オリンピックでは、ソ連チームを破り、念願の金メダルを獲得。5試合行われたうち、落としたセットは1セットのみ。ソ連との決勝戦では、日本中がテレビの前にくぎ付けとなりました。
その後、日本とソ連が優勝を争う日ソ2強時代がしばらく続きます。
1968年メキシコシティ大会、1972年ミュンヘン大会ではいずれもソ連に敗れて銀メダル。
しかし、1976年モントリオール大会では12年ぶりに金メダルを手にします。大会史上初の失セット0の完全勝利でした。
優勝したことで、次の1980年モスクワ大会でもメダルを期待されていたのですが、アメリカ政府がモスクワ大会へのボイコットを表明。これに日本政府が同調し、不参加となりました。
1984年ロサンゼルス大会
1984年のロサンゼルス大会は、今度はソ連がボイコットしました。
ライバルのソ連がいなくなったことで、日本の金メダルが期待されたのですが、準決勝で中国に敗れ、3位決定戦でペルーに勝ち、銅メダルとなりました。
ここからバレーボール女子日本代表に長い低迷期が訪れます。
1992年バルセロナ大会は5位、1996年アトランタ大会は9位、2000年シドニー大会の予選では、中国、イタリア、クロアチア、韓国に4連敗して、初めてオリンピック出場権を逃しました。
しかし、2003年に柳本晶一が監督に就任し、若手選手を積極的に起用するうち、かつての活気が代表チームに戻ります。
2004年のオリンピック最終予選では開幕から6連勝の後、2大会ぶりにオリンピック出場権を取り戻しました。2004年アテネ大会では準々決勝で中国に敗れましたが、ベスト8に進んでいます。
2007年には第14回アジア選手権で24年ぶりに金メダルを獲得しました。
2012年ロンドン大会
2012年ロンドン大会では、3位決定戦で韓国を3-0のストレートで破り、銅メダルを獲得しました。1984年ロサンゼルス大会で銅メダルを獲得して以来、実に28年ぶりの快挙でした。
2021年東京大会
2016年リオデジャネイロ大会ではアメリカに敗れ、5位に入賞。
2017年度からは、ロサンゼルス大会、ソウル大会、バルセロナ大会と3度のオリンピック出場経験がある元代表の名セッター、中田久美が監督に就任しました。
2021年夏に開催された東京大会では、バレーボール女子はアメリカが優勝。アメリカ代表はそれまで銀メダル3つ、銅メダル2つを得ていため、悲願の金メダル獲得となりました。
なお、銀メダルはブラジル、銅メダルはセルビアです。
日本は1次リーグ敗退で、最終順位は10位という結果で終わりました。
バレーボール女子アメリカ代表
2021年東京大会のバレーボール決勝戦はアメリカがブラジルを下し、金メダルを獲得しました。ユニフォームの公式サプライヤーはアディダス。
女子日本代表のユニフォーム
バレーボール女子日本代表のユニフォームは、1964年東京オリンピックの前後から、ナショナルカラーの「赤」と「白」を主に使用しています。
1968年メキシコ大会ではオレンジ色、1972年ミュンヘン大会では深緑色のユニフォームを使用しましたが、その後「赤」と「白」に戻っています。
バレーボール女子日本代表の公式サプライヤーは、1989年からミズノが担当しています。
ミズノによると、開発当初から1997年ぐらいまでは、肌触りのいい綿素材の長袖ユニフォームが主流でした。スライディングした時に摩擦熱でウエアが溶けないように、天然素材の綿が使われていたそうです。
それが、耐久性、吸汗速乾性に優れた高機能素材が開発され、素材は綿から合成繊維にシフトしていきました。
さらに、肘や膝に付けるサポーターが普及するに従い、シャツの形は長袖から半袖に変わり、2006年頃からノースリーブに変わっていきました。
デザイン面でも、ユニフォームの生地自体に鮮やかな彩色を施す昇華プリントを採用することで、より華やかに変わっています。
「火の鳥NIPPON」のユニフォーム
公益社団法人日本バレーボール協会では、2009年3月から4月にかけて、バレーボール日本代表の愛称を公募しました。
選考の結果、男子チームを「龍神NIPPON」、女子チームを「火の鳥NIPPON」と命名しました。
「火の鳥NIPPON」には、「真っ赤に燃える火の鳥は情熱の象徴。心に情熱の炎を燃やし、スピーディーなバレーボールで世界の王座を奪還して欲しい」という願いが込められています。
「火の鳥NIPPON」のユニフォームは、そうした願いを体現したものとなっています。
2014年モデル
2016年モデル
2018年モデル
2021年モデル
テーマは「ダイバーシティグラフィック」。カラーはダイバーシティブルー、レッド、ホワイトの3色。
実はこんなにある!日本発のバレーボールテクニック
かつては「お家芸」といわれていた日本のバレーボール代表。
それを裏付けるのが、これまでに日本チームが開発したバレーボールの守備や攻撃のテクニックの数々です。
レシーブしながら、肩を中心に身体を回転させ、すぐに体勢を整える「回転レシーブ」は、「東洋の魔女」を率いた名将・大松博文監督が編み出した日本発のテクニックです。
「木の葉落とし」と呼ばれる無回転サーブも、女子日本代表が開発した技で、ボールの軌道が読めないサーブとして、世界中の選手が真似するようになりました。
こうした新しい技を開発したのは、女子代表だけではありません。
男子日本代表は、「Bクイック」や「一人時間差攻撃」などの技を編み出しました。
また、1998年に正式採用された「リベロ」も日本から。男子日本代表を率いた松平康隆監督が考案した一人といわれています。
リベロは守備専門のプレーヤーで、レシーブをするだけで、前衛でのスパイク、ブロック、サーブを行うことは禁止されています。
リベロは必ずしもメンバーに入れなくてもいいことになっていますが、今やほとんどのチームにリベロがいて、守備の要を担っています。
「リベロ」は他の選手とはユニフォームの色が違っているので、一目で「リベロ」とわかるのが特長。
背が高く、腕が長い外国人選手と、小柄な日本人選手が互角に渡り合うために、次々に生み出したテクニック。今では世界標準となっているのが誇らしいですね!
まとめ
日本代表が一回り大きな海外の代表チームに勝つために、監督と選手が磨いてきた技の数々。かっこいいユニフォームの着こなしとともに、日本代表チームが開発した技術を真似して、ぜひ自分のものにしてくださいね。