アディダスの軌跡:ジャージの進化とグローバルブランドへの道

アディダス(adidas)は、スポーツウェアおよびフットウェア市場において、世界的に知られるブランドです。特にジャージに関しては、卓越した機能性と洗練されたデザインで、数多くのアスリートやスポーツ愛好者に支持されています。ここでは、アディダスのジャージの歴史をご紹介します

■創業から初期の展開

アディダスの歴史は、1924年にドイツのバイエルン州においてアドルフ・ダスラーとルドルフ・ダスラー兄弟によって設立された「ダスラー兄弟商会」に遡ります。初期のアディダス製品は、主にサッカーや陸上競技向けのシューズでした。特に1936年のベルリンオリンピックで、ジェシー・オーエンスがアディダスのシューズを履いて金メダルを獲得したことで、アディダスの名は一躍有名になりました。

1949年、アドルフ・ダスラーは兄との仲違いにより独立し、アディダスを設立。会社名の「アディダス」は、アドルフの愛称「アディ」と姓「ダスラー」の一部を組み合わせたものです。その後1960年代には、アディダスはシューズだけでなく、スポーツウェアの製造にも着手し、アディダス自身が開発したスパイクから着想を得た、上下一対の最初のスポーツジャージ(ベッケンバイアー)をリリースしました。当時としては革新的な機能性と素材使いはプロアマ問わず多くのスポーツ愛好者に指示され、スポーツコミュニティ全体で高い評価を受けました。

■サッカーとトラックスーツの普及

1970年代に入ると、アディダスはスポーツウェア市場で急成長を遂げました。この時期、アディダスのトレードマークである「スリーストライプス」が施されたトラックスーツが登場し、世界中で大ヒットしました。これにより、アディダスのジャージは、単なるスポーツウェアを超えたファッションアイテムとしても認知されるようになりました。

特に、1972年のミュンヘンオリンピックを期に、多くのアスリートがアディダスのジャージを着用し、その機能性とデザインが高く評価されました。この時期のアディダスは、サッカー、陸上競技、テニスなど、多様なスポーツに対応したジャージを開発し、各スポーツシーンでの存在感を強めました。

■1980年代:テクノロジーの導入とファッション性の向上

1980年代に入ると、アディダスはスポーツウェアに新たなテクノロジーを取り入れ始めました。特に注目されたのが、クライマクール(Climacool)やクライマチル(Climachill)などの技術です。これらの技術は、通気性や吸湿性を高め、快適にシューズを履くことができる環境を提供するものでした。

同時に、アディダスはスポーツウェアのファッション性にも力を入れ始めました。特に、ヒップホップ文化との融合が大きな影響を与えました。RUN-DMCがアディダスのトラックスーツやスーパースター(Superstar)を着用し、これが一大ムーブメントを巻き起こしました。アディダスのジャージは、スポーツシーンだけでなく、ストリートファッションのアイコンとしても広く受け入れられるようになりました。

しかし、1987年にホルスト・ダスラー没後の起こった経営権争いにより徐々に方向性を失い低迷し始めてしまいます。

引用RUN-DMC Wikipedia

■1990年代:低迷からの復活

1990年にはフランス人実業家のベルナール・タピがアディダスの株式の過半数以上を取得することで事実上の経営者となりました。これによってダスラー家はアディダスから撤退しました。しかし業績は好転することなく1990年初頭のアディダスは売上が低迷し、売上業績が業界第3位まで低迷してしまいます。その後、1993年にフランス人実業家のロベール・ルイ・ドレフュスが経営権を取得したあと、その手腕により黒字化に成功します。

そして1996年のアトランタオリンピックでは、アディダスは数多くの国の代表チームにジャージを提供し、その斬新なデザインと高い機能性が話題となりました。

■2000年代:グローバルブランドとしての確立

2000年代のアディダスは、いくつかの重要な出来事を通じてブランドを進化させました。まず、2000年代初頭にはブランドイメージの刷新を図り、特に「アディダス・アクティブ」や「アディダス・パフォーマンス」といった製品ラインの分化を進め、異なる市場セグメントに対応しました。次に、2005年にはスポーツブランドのリーボックを約39億ドルで買収し、北米市場でのプレゼンスを強化しました。この買収はアディダスのグローバル展開に大きな影響を与えました。

2006年には、ドイツで開催されたFIFAワールドカップの公式スポンサーとして大規模なプロモーション活動を展開し、「Teamgeist」ボールが使用されました。このボールの革新的なデザインは話題となりました。さらに、2000年代中盤には「スーパースター」スニーカーが再び人気を集まり、ヒップホップカルチャーとの結びつきが強化されました。限定版のリリースも行われ、多くのファンを魅了しました。

2009年には「アディダス・コンソーシアム」が設立され、限定版のスニーカーやコラボレーションアイテムが展開されました。これにより、アディダスはファッションとスポーツの融合を進め、トレンドに敏感な消費者層をターゲットにしました。これらの出来事を通じて、アディダスはグローバルなブランドとしての地位を確立し、スポーツとファッションの両方で影響力を持つようになりました。

■2010年代以降:デジタルとカスタマイズの時代

2010年代に入ると、アディダスはデジタル技術とカスタマイズのトレンドに対応するため、様々な挑戦を行いました。特に、マイアディダス(miAdidas)というカスタマイズサービスが注目されました。ユーザーは、自分の好みに合わせてジャージやシューズのデザインをカスタマイズすることができ、個性を反映したアイテムを手に入れることができるようになりました。(※2019年サービス終了)

また、アディダスは海のプラスチック汚染について意識を高め、行動を促すことを目的とする世界規模のムーブメント、「Run For The Oceans」を始動させ、環境活動を始めサステナブルな素材を使用した製品の開発を強化しました。特に、リサイクルプラスチックを使用した商品シリーズが注目を集め、環境への配慮も高めていきました。

■まとめ

創業以来、数々の困難や試練をに直面しながらもスポーツとファッションの融合により、その双方から高い評価を受け続け、世界中から愛されるメジャーブランドに成長してきました。

そして、2021年よりアディダスは「Own the Game」という新たな5カ年戦略サイクルをスタートさせました。これは現代の消費者のスポーツ&ライフスタイルに合わせるように、全ての事業においてお客様を中心に添えることで新しい可能性を消費者の観点から創造することを目指しています。これからも、アディダスは消費者体験をどんどん進化させていき、新たな未来をどんどん創造していくことでしょう。

引用https://adidas-group.jp/

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